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JOURNAL

山の稜線が見える東京郊外にある作業場。ストーブのヤカンからは湯気が立ちのぼり、東の空から入る陽射しは職人の手元を明るく照らす。それほど大きくない作業場には、日本国内から届いた張替えの椅子が静かに佇んでいる。それを取り囲むように、長年使われてきた道具、様々な座面素材は、所狭しと整然と並べられ、いつかいつかと職人の手が伸びてくるのを待っている。

今回のJOURNALでは長年僕らをサポートしてくれている籐張り職人さんにフューチャー。御年70歳、職人暦は50年以上の大ベテランにお仕事についてお話を伺った。

北欧の巨匠・ハンス ウェグナーのチェアCH23の座面張替え作業が一人のベテランに委ねられている。彼の的確な手さばきによって座面が一目一目丁寧に編まれてゆく。コードがスルスル通る音、ギュッギュッと締付ける音、心地よいリズムとピッチは、50年という月日の流れを感じさせるには充分だ。

もしかしたら目を閉じてこの音鳴りを聞き分けながら編めてしまうのではないかと思わせる仕事振りに感服。低い椅子に座りながら体全体を使いコードを手繰り寄せ、時に特殊な道具を使い縦、横とクロスするように編む様子は機織りのようにも映る。聞けばこの編む力加減で座り心地と耐久性が随分と違ってくるそうだ。

休憩の際に幾つかの質問に答えてくれた。「この道に入るきっかけは、当時は高級品として扱われた籐張りの乳母車を製作する職人をしていた父の存在があったから。小さい頃から手伝いをして工芸高校の卒業を期にこの道に入った。一言に籐張りといっても編み方の手法は多岐に渡る。とにかく必死で父や他の職人さん達の技を見て自分のものにしていった。」

高度経済成長期には、今では考えられない仕事も沢山あり、中でも印象的だったのは「熱気球の籠を編む仕事なんてのもあった。サイズが大きすぎて作業場に入りきらず、作業場の前の道路で編んでいたよ。あとは、テレビコマーシャルや撮影の小道具など特注品依頼が多かった。見積もりなんか後で良いから納期優先して欲しい、なんて、今思い返えせばすごい時代だったな(笑)」

バブル後は、海外製の安価な籐編みが主流になり籐張り職人の数も激減したそう。現在では、手編み出来る職人は数える程しか残っていない。一人前の職人になるには数十年かかり、しかも現在では仕事も沢山あるわけではなく、新たな職人が育ちづらい状況らしい。

そんな中、最近嬉しいことがあった。1年前に別の仕事をされていた息子さんも籐張職人の道に入ったという。長く付き合いのある取引先の方々が大変喜んでくれたそうだ。ジオ・ポンティ作のスーパーレジェーラを編む手を止めこう言った。「父は一言も職人を継いで欲しいとは言わなかった。その気持ちが嬉しくて、自分から職人になりたいと申し出た」。

職人として大切なことは?と問えば「お客さんの求めているものを把握し忠実に作業する事。職人というのは良いも悪いも自分のやり方を持っている。一方的に自分で勝手に決めてしまい、結果、お客さんの想像と異なっていたりする。当たり前のことなんだけど、素材、色味、太さを実際に見せてから作業に掛かるようにしている。特にビンテージ品は当時と今では籐の質感、太さが違うだけにデリケートに扱わないといけない」。技術的なことよりも、まずはお客様とのコミュニケーションを大切にというシンプルな答えにハッとさせられた。

「大型バイクに乗って、一人で気ままに日本中を回るのが一番満たされる。昨年も二週間程北海道をぐるっと回ったよ。道の駅などで同じくバイク旅する人との出会いが何よりの楽しみ。今年も北海道、九州への旅を計画している」そう楽しそうに話す作業場の一角には、真赤な750ccの大型バイクが誇らしげに置かれている。自分の為だけの時間を設けることは、仕事を長く続けるためのコツなのかもしれない。

作業場を後にし都心部へと車を走らせる。バックミラーの片隅にウェグナーの椅子が揺れている。新たに籐張りが施された椅子は来週にはお客様の元へ旅立ってゆく。ハイクのメインテーマでもある「物質の循環」。国、時代、そして人を繋いでゆくには、彼らの存在なくして成立することは不可能だと改めて思い知る取材でした。



FEATURE

2017.02.05

Rattan Chair Craftsman × HIKE Cross Talk

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