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1950年代からデンマーク家具、ひいては北欧家具をリードし、世界でその名が知られるフレデリシア。ボーエ・モーエンセンを筆頭に著名なデザイナーと協力して素晴らしい家具を輩出し、スパニッシュチェアなど皆様ご存知の家具も多く手掛ける。そのモーエンセンとの出会いこそが、現在のフレデリシアの姿を象徴している。

フレデリシアの歴史は古く、1911年に遡る。豊かな自然をいかす国営事業の一つとしてデンマーク国が家具メーカーを設立したのが始まり。当時の名はフレデリシアストールファブリック。安い家具を沢山生産し、世界に販売する事が目的であったが、40年代にはさらに安いコストで家具を造る隣国の台頭によって、経営難に陥ってしまう。その時、現フレデリシアCEOのアンドレアス・グラーバセンが救いの手を差し伸べた。グラーバセンはFDBの家具職人に過ぎなかったが、なんと1955年に同社を買い上げてしまった。人生をかけた一大決心の裏にはどんな勝算があったのか。

一方、ボーエ・モーエンセンはというと、FDBのインハウスデザイナーとして活躍していた。その活躍の鍵となるのは学生時代に訪れた自動車メーカー「フォード」にあることはあまり語られていない。当時の家具造りといえば職人の技術に頼った人海戦術。沢山造りたければ職人をかき集める必要があるが、数に限りがあるし、育成にも時間を要する。対して車の生産ラインは確率された流れ作業。個人の力に頼ることなく良質な製品を造り上げる様子を目の当たりにしたモーエンセンは、体中にイナズマが走る程の感銘を受けたそうだ。そして、この考え方を誰よりも早く家具業界に取り入れ、職人の個の力に頼ることなく、街の人々を雇用しコストを抑える試みをした。だが、FDBは昔ながらの職人が多く残る工房。ある程度の成功を収めたが、“家具製作=流れ作業”という概念のない時代には、なかなか理想には届かず歯痒い思いを抱えていたようだ。そして1950年に一念発起し独立を果たすも、彼の理想は個人で成し遂げられるものではなく、工房そのものをマネジメントする必要がある。表面的には順風満帆に活躍していた様にみえるが、夜明けまで吞み明かすことも少なくなかったと聞く。

そのとき、グラーバセンは「お前の為に工場を買ったぞ」とモーエンセンに声を掛けた。共にFDBで汗を流した旧知の仲。彼の思想を承知していたこの言葉にモーエンセンを再び奮い立つ。そう、これが現在のフレデリシア誕生の瞬間だった。シガラミから解き放たれ、かつてのフォードで体感したことを実現する時がやってきた。構造はシンプルでも、優れた感性により非常に美しい家具をデザイン。手間のかかるペーパーコードにせず、座面はレザーにするなど、生産工程が意識された素材選択。二人の良好な関係性が伺える豊かなアイデアが、家具からも伝わってくる。誤解していただきたくないのは、コストを抑えたチープな家具を造りたかった訳ではなく、トップクオリティの家具を流れ作業によって誰でも造れることに凄みがある。だからこそ、素材には一切の妥協はない。当時の家具が、ヴィンテージとして今私たちの目の前にあることが、その証と言っていいだろう。こうして、名だたるトップメーカーを抑えて、フレデリシアを一気に世界レベルの家具メーカーに押し上げた。

モーエンセン亡き現在のフレデリシアにも、その考え方が息づいている。樹脂を使ったチェアや、有機的なフォルムのイージーチェアなど、新たな挑戦を続けながらも、いつでもトップを目指した妥協なき製品造りが心がけられている。フレデリシアが大切にするのは、かつての名匠が残した名作ではなく、もっと本質的な魂なのだと思う。



過去に販売したヴィンテージフレデリシア商品はこちら。一部現行品も含まれています。



取材&コメント:中島

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2017.02.26

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