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椅子の巨匠ハンス・ウェグナーの作品を多く手掛け、デンマーク国内に数多く存在す る家具工房の中で神の域と称されている。如何に彼らが神と称されるようになったの か、その軌跡を振り返る。

PPモブラーの始まりは1953年のデンマーク。50年代といえばウェグナー、モーエンセ ンをはじめとしたデザイナーの活躍を機に、北欧家具業界が飛躍的に発展した時期。 世界に向けて羽ばたく彼らの背中を追って、ビジネスチャンスを感じた多くの職人が 家具工房を立ち上げた時代であった。PPモブラー創業者アイナー・ペターセンもその 一人。兄弟のラース・ペダーセンと二人でスタートさせた工房の名前には、彼ら二人 の名前とデンマーク語で工房を意味する“Mobler”を組み合わせてPPモブラーとし た。そんな由来からも分かるように家族経営のそれはそれは小さな工房であった。

初期の仕事はベアチェアの骨組み製作。当時ベアチェアの製作をしていたAPストーレ ンは生地張り工房ですから、その下請け工場として日々汗を流した。ご存知の通り、 ベアチェアのデザイナーはハンス・ウェグナー。こだわり深い熱心な彼は下請け工房 にも度々顔を出したそうだ。

そう、これがハンス・ウェグナーとの最初の出会いとなる。

ウェグナーは熱心に作業をするアイナーにこんな言葉をかけた。「生地で隠れて見え ないのだからそんなに丁寧に作らなくていい」それを聞いてアイナーは声を荒げて 怒った。既に圧倒的な存在感を放っていた彼にここまで意見を物申すものは少なく、 下請けの仕事にも情熱を注いでいたアイナーとの言葉のやり取りはとても嬉しかった そうだ。

その頃、ウェグナーは工房ヨハネス・ハンセンの元で家具製作に没頭。彼の才能を見 抜いていた名匠ヨハネスは工房の一部を自由に使わせ、時には技術的なアドバイスを 送るなどしながら、試作品をどんどん作りあげていった。チャイニーズチェアやザ・ チェアなどはそんな中で誕生した椅子。絶大な輝きを放っていた工房ヨハネス・ハン センだったが、世代交代を機に陰りを見せ始める。先代のヨハネスを尊敬していたウェグナーは、そ の後も付き合いを続けるも、新世代の仕事に納得はしていなかった。そこで、ふとア イナーの存在を思い出す。

さっそくザ・チェアの図面をもって、アイナーの元へ出向いた。開口一番「何年か後 にこれを作れるようになってほしい」と話したそうだ。突然の出来事に驚いたにアイ ナーは違いないが、その言葉を信じ、職人らを率いて期待に応えるべく精進を続け た。オイルショックなどの影響もあり1992年にヨハネス・ハンセンは廃業。その後は PPモブラーが受け継ぐことになるのだが、既にその準備は整っていた。確かな技術力 によって絶やすことなく作り出される名作の数々。全ては二人がぶつかり合ったあの 瞬間から始まったこと。

それは奇跡でも、偶然でもなく、両者の突出した家具に対する情熱が引き合わせたよ うに感じる。現在ではアイナーは現役を退き、息子ソーレンが後を継ぐ。世界的な ファクトリーにまで発展を遂げた現代でも職人の数は僅か18人。だからこそ創業者ア イナーの考え、巨匠ウェグナーの意図が隅々まで行き届くのだろう。

クオリティについてこんな話がある。木は自然から切り出された時は水分を多く含む ため、多くの工房は含水率を5%まで乾燥させてから製材し作り始めるのだが、PPモブ ラーは含水率3%。ここまで乾燥させることは気の遠くなるほど時間がかかり、丁寧 な管理が要求される。また、製材し、部材を作り上げてからもさらに1ヵ月乾燥させ た後に本組みに移ることで、完成後のトラブルを限りなく抑えられる。今までに納期 が6ヵ月や8ヵ月と言われて驚いた経験はないだろうか。時間をいただくにはこの様な 理由があり、高いクオリティを求めるならば根気強く待つ方がいい。気密性が高い住 宅が増えた昨今、湿気が室内にこもる環境下ではこうした家具が重宝されるあろう。

憧れを抱いてショップに足を運ぶ回数が多いほど、悩みに悩んで悶々とした夜を過ご す時間が長いほど、待ち焦がれた家具との対面は感動の瞬間。傷や汚れは思い出とし て刻まれてゆき、いつまでも貴方の傍で生活をサポートしてくれる。なので時には疲 れ、メンテナンスを必要としたときには私たちにご相談ください。大切な資源や、情 熱をいつまでも、絶やすことなく。



画像上段の人はアイナー、下段はウェグナーです。



記者:中島

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JOURNAL ON 25TH SEP 2017

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