JOURNAL / FROM HIKE / HANS J WEGNER HISTORY
ハンス・J・ウェグナーはデンマークの家具デザイナー。世界的な評価は高く「椅子の巨匠」と称されている。当店での取り扱い数も多いことからその名をご存知の方も多いことでしょう。では、彼がどんなキャリアを築いてきたか、どんなデザインプロセスを重んじていたのかについてはいかがだろうか。彼の作品は表層的な魅力に留まってしまっては勿体ない。ぜひデザインの裏に秘められた作品の確かさを皆さまにもご紹介したいと思う。
ウェグナーは1914年、デンマーク南部ドイツ国境に近い街トゥナーに生まれた。首都コペンハーゲンからも、ドイツ ハンブルクからも電車で数時間かかる地方都市で世界的なデザイナーが誕生したというのは感慨深いところ。父親のピーター・ウェグナーは靴職人をしていましたから、物作りのDNAは生まれ持っていたのでしょう。余談ですが、親友の家具デザイナー ボーエ・モーエンセンに息子が誕生した際に名付け親を務めたのがウェグナーで、つけた名前はピーター。大切な友人の息子に自身の父の名をつけるあたり、とても尊敬すべき存在であったことが伺える。
14歳で家具職人としてキャリアをスタートし、17歳で指物師の資格を取得。指物師とは日本でいう桐箪笥などを釘などを用いずに巧みに木を組み合わせて家具を作る職人のこと。木の反りなどを考慮して何十年も使える家具を作り出すことは、木材や構造をよく理解し、それを表現できる技術があってこそなし得る仕事ですから、僅か数年で体得したことは彼の非凡さが伺えるところ。20歳の頃、兵役のためコペンハーゲンへ上京したのを機に、1936年(22歳)にはデンマーク王立美術アカデミーへ進学。ここで先の項で登場したボーエ・モーエンセンや、デンマーク家具の父と称される恩師コーア・クリントらなどと出会うことに。
卒業後はアルネ・ヤコブセンとの共同プロジェクトであるオーフス市庁舎の家具デザインを担当。こうした設計プロジェクトに参加することもあれば、ファクトリーと協力してキャビネット・メーカーズ・ギルド展に出品するなどメキメキと頭角を現していった。彼がデザインを構築する際、大切にしているキーワードが「リデザイン」。師であるコーア・クリントが提唱するデザインに対する考え方を表した言葉であり、キャリア初期を象徴する椅子チャイニーズチェアは中国明代の椅子をリデザインしたものである。そして自らの作品を見つめ直すことを続け、自己模倣に陥ることなく誕生したのが現代のベストセラーYチェアというところに繋がっている。
では、具体的にどんなデザインプロセスを踏んでいくのだろうか。ウェグナーはまずデザインの依頼があったメーカーの体質に適したデザインをすることを大切にしていた。例えば、木工工作が得意なメーカー、クッション製作が得意なベッドメーカー、椅子張りが得意なメーカーなど、様々な個性がある中でそのポテンシャルが引き出せるデザインをするということ。デザイナー自身の個性を強く主張する人物もいる中で、エゴイズムを抑えることが結果的にウェグナーらしさを表現しているように感じられる。生涯で500脚以上の椅子を手掛けたとされる偉業は有名ですが、そのアイデアの源泉が自身からのみでなく、職人らとの対話の中にもあったとしたら無限の可能性が考えられそう。素晴らしい作品を生み出す秘訣はここにあるように思われる。
その後、ラフ案が定まってきたら1/5スケールの図面を引き、それを元にミニチュアを作成する。その際のこだわりは実際の素材と作り方で行うこと。すると製作過程を確かめることができ商品化した際の量産性を確かめられるからだ。あとはミニチュアをよく観察し、より美しい意匠への修正点を見いだすことも大切。次に原寸大の図面をひき、プロトタイプを作成する。一見普通の工程のようだが、ここまで全て自分自身でこなすという点は現代のデザイナーとは大きく異なるところ。当時のデザイナーと職人の立場は平等であり、職人らに説得力あるプレゼンテーションが出来るのも指物師の経験が大きいのでしょう。
そして、その家具に触れ合えば熟慮されたデザインであることを体感するに違いない。それは派手な造形にばかり頼らず、使い手の気持ちになり道具として使われるということが念頭にあるから。ウェグナーが美意識の高い人物であることは疑わないが、道具としての存在意義を見失わない確かさに彼の真髄があるように感じられる。ヴィンテージマーケットでは大変な人気があり、デンマークを代表するファクトリーPPモブラー社などでは、現代でも引き続き造り続けられる家具も多く残る。一部機械化されたラインナップも存在するが(ウェグナーは機械化に対して、クオリティを落とすことなく効率的になるのならばと、意外と肯定的である)、熟練の職人によるハンドクラフトが主となり、木材についても厳選した妥協なきモノづくりがなされている。
ハンス・J・ウェグナーの販売商品・過去のアーカイブはこちらからご覧いただけます。
記者:中島
画像、コメントの無断転載に関して
JOURNAL ON 27TH APRIL 2019
HANS J WEGNER HISTORY
STORE INFORMATION
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JOURNAL / FROM HIKE / HANS J WEGNER HISTORY
ハンス・J・ウェグナーはデンマークの家具デザイナー。世界的な評価は高く「椅子の巨匠」と称されている。当店での取り扱い数も多いことからその名をご存知の方も多いことでしょう。では、彼がどんなキャリアを築いてきたか、どんなデザインプロセスを重んじていたのかについてはいかがだろうか。彼の作品は表層的な魅力に留まってしまっては勿体ない。ぜひデザインの裏に秘められた作品の確かさを皆さまにもご紹介したいと思う。
ウェグナーは1914年、デンマーク南部ドイツ国境に近い街トゥナーに生まれた。首都コペンハーゲンからも、ドイツ ハンブルクからも電車で数時間かかる地方都市で世界的なデザイナーが誕生したというのは感慨深いところ。父親のピーター・ウェグナーは靴職人をしていましたから、物作りのDNAは生まれ持っていたのでしょう。余談ですが、親友の家具デザイナー ボーエ・モーエンセンに息子が誕生した際に名付け親を務めたのがウェグナーで、つけた名前はピーター。大切な友人の息子に自身の父の名をつけるあたり、とても尊敬すべき存在であったことが伺える。
14歳で家具職人としてキャリアをスタートし、17歳で指物師の資格を取得。指物師とは日本でいう桐箪笥などを釘などを用いずに巧みに木を組み合わせて家具を作る職人のこと。木の反りなどを考慮して何十年も使える家具を作り出すことは、木材や構造をよく理解し、それを表現できる技術があってこそなし得る仕事ですから、僅か数年で体得したことは彼の非凡さが伺えるところ。20歳の頃、兵役のためコペンハーゲンへ上京したのを機に、1936年(22歳)にはデンマーク王立美術アカデミーへ進学。ここで先の項で登場したボーエ・モーエンセンや、デンマーク家具の父と称される恩師コーア・クリントらなどと出会うことに。
卒業後はアルネ・ヤコブセンとの共同プロジェクトであるオーフス市庁舎の家具デザインを担当。こうした設計プロジェクトに参加することもあれば、ファクトリーと協力してキャビネット・メーカーズ・ギルド展に出品するなどメキメキと頭角を現していった。彼がデザインを構築する際、大切にしているキーワードが「リデザイン」。師であるコーア・クリントが提唱するデザインに対する考え方を表した言葉であり、キャリア初期を象徴する椅子チャイニーズチェアは中国明代の椅子をリデザインしたものである。そして自らの作品を見つめ直すことを続け、自己模倣に陥ることなく誕生したのが現代のベストセラーYチェアというところに繋がっている。
では、具体的にどんなデザインプロセスを踏んでいくのだろうか。ウェグナーはまずデザインの依頼があったメーカーの体質に適したデザインをすることを大切にしていた。例えば、木工工作が得意なメーカー、クッション製作が得意なベッドメーカー、椅子張りが得意なメーカーなど、様々な個性がある中でそのポテンシャルが引き出せるデザインをするということ。デザイナー自身の個性を強く主張する人物もいる中で、エゴイズムを抑えることが結果的にウェグナーらしさを表現しているように感じられる。生涯で500脚以上の椅子を手掛けたとされる偉業は有名ですが、そのアイデアの源泉が自身からのみでなく、職人らとの対話の中にもあったとしたら無限の可能性が考えられそう。素晴らしい作品を生み出す秘訣はここにあるように思われる。
その後、ラフ案が定まってきたら1/5スケールの図面を引き、それを元にミニチュアを作成する。その際のこだわりは実際の素材と作り方で行うこと。すると製作過程を確かめることができ商品化した際の量産性を確かめられるからだ。あとはミニチュアをよく観察し、より美しい意匠への修正点を見いだすことも大切。次に原寸大の図面をひき、プロトタイプを作成する。一見普通の工程のようだが、ここまで全て自分自身でこなすという点は現代のデザイナーとは大きく異なるところ。当時のデザイナーと職人の立場は平等であり、職人らに説得力あるプレゼンテーションが出来るのも指物師の経験が大きいのでしょう。
そして、その家具に触れ合えば熟慮されたデザインであることを体感するに違いない。それは派手な造形にばかり頼らず、使い手の気持ちになり道具として使われるということが念頭にあるから。ウェグナーが美意識の高い人物であることは疑わないが、道具としての存在意義を見失わない確かさに彼の真髄があるように感じられる。ヴィンテージマーケットでは大変な人気があり、デンマークを代表するファクトリーPPモブラー社などでは、現代でも引き続き造り続けられる家具も多く残る。一部機械化されたラインナップも存在するが(ウェグナーは機械化に対して、クオリティを落とすことなく効率的になるのならばと、意外と肯定的である)、熟練の職人によるハンドクラフトが主となり、木材についても厳選した妥協なきモノづくりがなされている。
ハンス・J・ウェグナーの販売商品・過去のアーカイブはこちらからご覧いただけます。
記者:中島
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