JOURNALNews, Feature, Our Neighborhood And more

その日学校で教わったこと、職場での新しいプロジェクトの話、友人との会話、そして外出時に見つけた素敵なもの。家に帰って食卓につき家族と顔を合わせれば、自然と始まる会話があります。一人暮らしであったとしても、休日に友人知人を招いて共にテーブルを囲んだならば、初めはぎこちない間柄も穏やかに打ち解けあい、皆で口にする食事の美味しさもひとしお。時間はあっという間に過ぎていくでしょう。そのときテーブルは、人々の食事を乗せるための台という役目を脱却し、集う場所としての新しい機能を発揮します。

集う場所としてのテーブルは、うちと外を繋ぐセミパブリックのようなスペースです。家主一人でゆっくりと朝食をとったり仕事をしたりするパーソナルなスペースにもなる一方、そこは外から来るどんな人をも受け止め、家の中での唯一の公共の場ともなるのです。曇り空が続く季節や暗い冬の間でも、そこには確かに、柔らかな丸い陽光が差し込み、そしてそれを逃すまいと人々が自然に集まってくる。そこはまるで晴れやかな公園のような場所。 北欧に暮らす人々は、住む土地の環境条件を受け止め、家で過ごす時間の多い生活をより豊なものにするために、テーブルを開かれた場所として彼らの生活の中心に据え、そこで過ごす時間を何にも代え難い時間として大切にしているのでしょう。その知恵と経験を、遠い国から受け継がれた一つのテーブルが私たちに教えてくれます。

人々の集いの場となったテーブルの上には、飛び交う楽しげな会話に合わせて様々な音が連なります。グラスを傾ける音も、ナイフがお皿にカチリと触れる音も、メインディッシュを卓上に運んだ時の歓声も、そして窓の外から聞こえる鳥の声や風の音も。音を奏でながらテーブルの上のものたちは、そこで肩を寄せ合い、思い思いの影を落とします。日常の道具は、実際に使われてこそ輝きを増すもので、グラスには水が注がれて初めて本当の美しさが顔を出します。太陽の光や淡いライトの光を透過してゆらゆらと揺らめくその美しい影をテーブルは受け止め、その一瞬の出来事によって日常の何気ないシーンを豊かなものに演出してくれるのです。

たとえいつもと同じテーブルであったとしても、その上で同じ食事をとったとしても、そこで同じ相手と顔を合わせたとしても、同じテーブルシーンというのは二つとありません。過ぎゆく日々の中で、そこに集められたものたちや、人々が持ち寄った会話の全てが、昨日とも明日とも違う今のひとときを作り出します。


テキスト / 守屋 / @yukina.moriya

FROM HIKE

JOURNAL ON 27TH JUNE 2021

ダイニングテーブルって