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棚の上で空っぽになって置かれている少し大きめの花器にいけるよう、たっぷりと葉の茂ったエネルギッシュなのを求め、久しぶりに向かう花屋。とりわけお洒落なものや稀少な品種が揃っているわけでもなければ、他と比べて安いわけでもない普通の街のお花屋さんといったふうであるそのお店には、店主と交わす何気ない会話の心地良さからしばらく前から通うようになりました。店内を眺めると、うっすらとグリーンのベールを纏ったような淡い色彩が珍しい薔薇の花を見つけ、その可憐で涼やかな様子に見惚れて思わず2本買って帰ることに。花の中でも最も種類が多いと言われる薔薇の花。あまり詳しく知らないのだけれど、薔薇の花を手にした帰り道は、なんだか何かの記念日のように嬉しい気持ちになります。

その薔薇は、予定していた花器にいけるには雰囲気が合わず、代わりにお気に入りのグラスに冷たい水を注いで挿してみることに。すると、どこに何があるかなんて目を閉じていても分かるほど見慣れた部屋の一角に、突然見たことのない別の空間が姿を現します。芳しいその香りに、嗅覚さえもが生き返るようで、どこからか深い森のなかで呼吸する木々たちの蒼い香りがかすかに感じ取れるような気さえしてきます。 それにしても名前すら知らないその花をなぜわざわざ自分の部屋へと迎え入れているのでしょう。なぜ毎日水を変え葉を取り水切りをして、お世話をしているのでしょう。来客があるわけでもない、誰に見せるでもないこの部屋の中に、私はなぜ花を飾るのでしょう。

豊臣秀吉の茶坊主として仕えていた千利休の屋敷の庭に見事な朝顔が咲き誇り、それを聞きつけた秀吉が朝顔を鑑賞するために茶会を所望した際の利休の逸話があります。秀吉が屋敷を訪れると庭の朝顔の花はすべて摘み取られていて、がっかりしながら利休の茶室に入ると、そこには一筋の光が差し込みその先に一輪の朝顔がいけてあったそう。最も美しい一輪を摘み取りそれをいけることによって侘びの茶室は彩られ、その空間すみずみにまで意識が配されます。そしてそのたった一輪から、庭に咲き誇った美しい景色をも頭の中に見ることができるのです。

それと同じように、自分の部屋に花を飾る行為は、空間への配慮の種を撒くようなものなのでしょう。見慣れた景色にぽつりと浮かぶ花の緊張感や、ものにかこまれた空間のなかに現れる生命力ある姿によって、棚の上に置かれる花器やその横に並べる木のオブジェのことを思い、散らかった本の数々を意識し、ソファの上のブランケットの肌触りを本当の意味で認識するのでしょう。自分が好んで揃えた家具たちのシンプルで機能的なデザインの成り立ちすらも新鮮に目にうつるばかりか、花の持つ複雑な造形や幾重にも重なる色の奥深さは、そのシンプルな部屋に温もりすらも与えてくれます。 花を飾ること、それを通して私は空間へ配慮の種をたくさん撒いているのです。そしてその配慮の種まきを欠かさずにいること、そこへの心配りを絶やずにいることで、撒いた種はきっと少しずつ育っていくのだと思います。




テキスト / 守屋 / @yukina.moriya

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JOURNAL on 1st AUG 2021

花を飾る