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HIKE JOURNAL VOL.114


友人との食事ひとつとってもそうですが、昨今は自宅に招いたり招かれたりする機会が圧倒的に増えました。定期的に顔を合わせる場がレストランから自宅に変わった、たったそれだけで何故だかその人との間柄はぐっと近くなり、互いのことをよく知ることができたような気持ちになります。誰かのプライベートな空間にお邪魔すると、そこには当たり前ですがその人らしい空間が広がっています。棚の上に置かれた花瓶や本棚に並んだ本の数々、オブジェの色彩、クッションカバーの素材、これから始まる宴を前に待機している卓上の食器やカトラリー、全てが持ち主の意思によって集められている空間では、全てが居心地良さそうに共存しています。そんな風に隅々までその人の気が通い整えられた空間では、招かれているはずの自分も不思議と我が家のごとく心から寛ぎ、そしてそこで、自分もこんな風に素敵に空間をしつらえることができたらと、妄想の世界であれこれと自分の家の模様替えをしたりするものです。

丸裸の部屋を前にして、これからどんなインテリアを置こうか、どんな配置にしようかと自由に考える機会を私たちが得ることができるのは引越しをしたり新しく拠点を構える時でしょう。部屋の間取りに合わせて、妄想していた理想の空間を現実に落とし込みながら新しい家具を選んでいく中で、理想とした誰かの家のようなしつらえには必ずしもなりません。招かれた友人の家だけでなく、インテリア雑誌に載る憧れの空間や、SNSのフィードに上がってくる海外の誰かの住まいも、自分が実際に空間をしつらえる上では手本にはなり得ても決して正解にはならないのです。それを求めて完璧に何かをなぞったとしても、きっと最後に見渡した時には、そこには少しの違和感が残るのではないでしょうか。どういうしつらえが正解なのか?という問いに対する答えはおそらく、自分が一つひとつの家具やオブジェや全てのものを吟味して選びとり、それらで空間を満たすこと、それに尽きると思います。

とあるインテリアショップで一目惚れし、感動的な接客を受けて思わず買った思い出のソファーの横に必要なのは、必ずしも今注目を集めるデザイナーのサイドテーブルではないはずです。そこには、旅先のマーケットで見つけたアノニマスなスツールの方が似合う場合もあります。美しい光が窓から差し込む自宅の壁には、高値で取引される憧れのアーティストの作品よりも、差し込む光を背に四季で移ろう花の影が何より価値のあるアートになる場合もあります。そういった正しさへの判断力は、自分自身のこれまでの経験や価値観によってでしか育ちません。“英知は受け売りでは身に付くものではない。 自分自身で発見するものである”と作家のマルセル・プルーストもかつて言っていますが、自分が自分の身を以て得た英知によって一つひとつのものを選び取ること。それこそが快適な空間をしつらえるための唯一忘れてはならない大切なことのように思います。




テキスト / 守屋 / @yukina.moriya

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JOURNAL ON 25TH DEC 2021

家を設る