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当然だが、オーディオ機器が一般家庭に普及する前までは、音楽はどこかで誰かと聴くものだった。演奏者がいて、聴衆が集まる。それが終われば記憶の中でしか再生されることの無い、誰かと共有された特別な時間。20年代にラジオが出現し、50年代にレコードプレイヤーが一般に普及し始めてからは、音楽と人はより内面的に、秘密の関係を結ぶようになった。現代では、音楽は生活空間を形作る重要な要素の一つだ。

部屋で聴く音楽について考えるときに思い出すのは、フランスの作曲家エリック・サティが1920年頃に作曲した、「家具の音楽」という曲に関する話だ。サティが友人の作曲家達とレストランで食事を取っていた時、バンドがあまりに騒々しい演奏を始めたため、たまらず店を出た。その時に友人達に語った新しい音楽のコンセプトが、「聴く人の感情を妨げない、意識して聴かれることの無い」音楽だという。当時としては斬新すぎるアイデアのためサティの試みは失敗に終わったが、そこには現代のBGMという概念やアンビエントミュージックにも通じる予見がある。面白いのは、彼がそのような新しい音楽のことを家具と表現したところだ。家具とは何かという問いには、「場所」を作るものだ、と答えることもできる。私たちが全く何も無い部屋に放り出されたら、流れている時間を捉えることも、自分がどこでどの方向を向いていればいいのかも分からない。テーブルと一脚の椅子さえ置かれればそこに行動のパターンが生まれ、何でもない空間の中に「場所」が生まれる。

音楽についても、家具と同様に場所を生むという側面から捉えられる。実際に、音楽は様々な場を作るために必要とされてきた。民族的な儀式の祭典、仕事の疲れを労わりあう酒場、政治的な犯罪行為に立ち向かう人々の集会。様々な出来事が複雑に絡み合い、止め処ない時間に置いていかれそうになるこの世界で、一つの曲が今現在を私達の元に繫ぎ止める。おそらくエリック・サティが音楽に求めたのは、人々の思想を鼓舞するようなことではなく、それぞれの個人が自分の内で起こる心情の変化に向きあうことのできる、内省的な場を作ることだ。リネンのカーテンに落ちる街路樹の影、食卓の上で枯れかけた一輪の花、空中を漂う視線と散漫な心。部屋の中で何の関係もなくバラバラに散らばっているように思われたそれらが、ある一曲の作り上げる世界の中にそれぞれの居場所を見つけ始める。部屋の中で何も語らずに私たちと共にある、家具みたいな音楽。

HIKEでよく流れているアルバムは、坂本龍一とAlva Notoによる共作「Vrioon」。坂本によるピアノが哀愁とも希望とも取れる不思議な優しさを放ち、Alva Notoの電子音がプリズムを生むクリアガラスのようにその音を透過している。この音の中に置かれるHIKEの家具は、50〜60年代のデンマークを中心とした北欧のヴィンテージ。その全てが徹底したメンテナンスを経て美しく生まれ変わっている。圧倒的に古く、同時に新しくもある彼らを前にして、ある人は戸惑うだろう。しかし、二人の稀代の音楽家が生み出した透明なサウンドと融け合う様を見れば、これらの家具が現代を生きる私達の感性に、逞しくも繊細に応えてくれるものだと分かる。エリック・サティがまだ生きていて、ひょっこりとこの店に顔を覗かせたなら、なんと言うだろう。家具のような音楽が、音楽のような家具を包んでいるこの状況を、友人達に話して聞かせるだろうか。



テキスト:田中(スタッフ)

FROM HIKE

JOURNAL on 18th Sep 2023

家具の音楽